徳島新聞 女性クラブ

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お知らせ

2015年10月5日月曜日

徳島新聞女性クラブトークイベント 吉行和子さん・冨士眞奈美さん

女性同士の友情、親の見送り、自身の老い−。女優の吉行和子さんと冨士眞奈美さんが出演し、徳島市のアスティとくしまで開かれた「徳島新聞女性クラブ」トークショーは、シニア世代が共感するテーマが盛りだくさんだった。私生活でも仲良しの間柄ならではの軽快な掛け合いと、豊かな人生経験が生む示唆に富んだ言葉で、聴衆を魅了した2人。トークショーの一部を紹介する。(木下真寿美)

「踏み込まないのが友情を長続きさせるこつ」
と言う吉行さん
「人様に対して言葉を惜しまないように」
とアドバイスする冨士さん

■徳島での交流
冨士さん NHKのドラマ「狸な家族」(2013年)のロケで、三好市に1週間ほど滞在した。5月ぐらいなのにウグイスが鳴いていて、東京の人に携帯電話で聞かせた。
吉行さん 映画「人生、いろどり」(12年)のロケで徳島を訪れた。上勝町で高齢の方が葉っぱを売って豊かになったという実話を基にした作品。暮らしが潤っているからか、町中のみなさんがとても優しい。
冨士さん 三好市でも(地元の方が)お昼ご飯や晩ご飯を手作りしてくださり、手作りの梅干しまで食べさせてくださった。本当にいい方たち。
吉行さん 東京から来ると余計にそう思う。人間の触れ合いがあると、そこが懐かしい場所になる。(上勝町では)人の優しさが一番の思い出です。

■女同士の友情
吉行さん (共に親友だった故岸田今日子さんを含めて)3人が仲良くなったのは、山あり谷ありの人生を送ってきて、ちょっと落ち着いたとき。
冨士さん 3人が離婚してすっきりしたとき。(会場笑い)
吉行さん バラバラに生きてきたけれど40を過ぎて、ある意味奇跡的に、磁石のようにぴたっと引き寄せられた。3人とも性格もまるでバラバラ。でも違うところが良かったのかも。「どうしてこんなに長く仲良くしていられるのか」とよく聞かれる。家も近いけれど、絶対に踏み込まない、というのが長続きさせているのかなと思う。女同士が仲が良くなると「どんどんその人のことを知りたい」「一心同体になりたい」と思う。ならないと不満が出てきて、「友達じゃないのかしら」とごちゃごちゃしちゃうことが多い。そうならないように気を付けて付き合っている。
冨士さん 自分のことを話し過ぎたり、話してもらい過ぎたりすると後悔する事態になる。淡くなじむのがいい。(趣味である)俳句を作ると本音が出て「まあ面白い」と思うけど、それは決して普段は言わないの。
女の人が年を取ると親友って大事だよね。もう男の人にはだまされないし。
吉行さん 分からないわよ。オレオレ詐欺とか。(会場笑い)

■海外でもてる
吉行さん (旅行にも一緒に行くが)海外では、この人(冨士さん)がすごくもてる。ハワイでは求婚されたのよね。
冨士さん ロバートさんね。忘れないわよ、最後のプロポーズなんだから。
吉行さん ロバートさんが「私はこの人の子どもが欲しい」とか言い出して。世の中にはいろんな人がいるんだなと思った。(会場笑い)
冨士さん そのロバートさん、孫が17人もいるの。(会場笑い)
吉行さん そんなことも含めて楽しく過ごしてきた。岸田さんがいなくなってからはこうやって2人で寄り添って、年を取りながらも助け合ってやってんのね。
冨士さん 台湾に黄霊芝さんという有名な作家がいらっしゃる。日本語も正確できれい。その方の句会に2人で参加した。その人が私に内緒で「あなたは私の才能を引き出す宝庫です」とかずこっぺに手紙を書いているの。それくらいかずこっぺは思われているの。私とは大違いよ!
吉行さん 彼女(冨士さん)はロバートさんから何十年ぶりのプロポーズを受けた。私にとっては黄霊芝さんからのラブレターは何十年ぶりのラブレター。やっぱり外国に行かなきゃだめね。(会場笑い)
冨士さん 日本の男の人には私たちの良さは分からないわね。
吉行さん 日本では一応は高齢者として立ててはくれるけれど、みんな「若きゃいい」って感じで、それが私たちはとても悲しいのよね。(会場拍手)

■母親との日々
冨士さん あぐりさん(日本の美容師の草分けで、吉行さんの実母の故吉行あぐりさん)が90を過ぎてから旅行を始めて、それが良かったわね。
吉行さん メキシコやネパール、イタリア、いろんなところに行った。子どもの頃から母は仕事をしていて共に過ごす時間がなくて。やっと母が暇になって一緒に海外旅行した。今年1月5日に母が107歳で逝ったが、私はやるだけのことをやったとほっとした。
冨士さん 亡くなって2日してから「あぐりちゃんが逝ったよ」と(吉行さんが)電話してきた。「えー」とびっくりすると詳しく話してくれた。ごく少人数で密葬したと。お棺の中に「あなたがあぐりさんのことを詠んだ俳句を入れておいたわよ」と言ってくれた。電話のこちら側で思わず涙ぐんだ。この人(吉行さん)はすごく乾いてる人なんだけど、今頃きっと寂しいと思うんだ。

■退屈にしない
冨士さん 私たちもいい加減、年。年を取ったら嫌なことはしない。
吉行さん 自分の時間をどうやって楽しくするかを考えればいいと思う。世の中に合わせるのではなく、自分の楽しみって何かな、と。お花やお茶でも、やりたいことがあればやってみて、自分の時間を退屈にしないっていうのが大切な気がする。
冨士さん それと私たちも先が短いので自分のことを分かってもらいたいわけじゃないんだけど、人様に対して言葉を惜しまないようにした方がいい。この人(吉行さん)はちょっと臆病だから言葉を止めちゃうけど、何でも言った方がいいわよ。
吉行さん 分かりました。(会場笑い)

2015年8月27日木曜日

徳島新聞女性クラブトークイベント 鳥越俊太郎さん

2015/7/14付 徳島新聞朝刊暮らし面掲載


がんの手術をした時のエピソードや
検診の重要性について話す鳥越さん
=徳島市のアスティとくしま

 徳島市のアスティとくしまで開かれた女性向け会員クラブ「徳島新聞女性クラブ」のトークイベントは、ジャーナリストの鳥越俊太郎さんが「スーパーポジティブな生き方がんを乗り越えて」と題して講演した。4回の手術を経てがんを克服した鳥越さんは「病気があるから体に気を付ける。悲観せず前向きに捉えて」と、がんと向き合う心構えや検診の重要性について語った。要旨は次の通り。(大塚康代)

ためらわずに検診を

 日本人の一番の敵はがんで、死因の断トツ1位だ。私は4回手術したが、がんになることは決して悪いことばかりではない。無病息災という言葉があるが、本当は「一病息災」だと思う。体に一つ悪いところがあるから、生活を改めようと前向きに考えられ、体に気を付けて元気でいられる。
 生活を改善するポイントは一に食事、二に睡眠、三に運動だ。食事の基本は魚と野菜。肉ばかりを食べ、酒をたくさん飲む生活を改める。睡眠は細胞分裂で新しい体を作るために大事。寝られなくて不健康になるようなら睡眠導入剤を使えば安眠が得られる。運動しないと下半身から老いて、足腰にトラブルを抱える。意識して歩こう。
 10年前、私はトイレで便を流す瞬間、水が赤く濁っていることに気付いた。人間ドックで検便すると、便に血液が混じる潜血反応があった。
 大腸がんの疑いがあれば、肛門からカメラを入れて腸内を見る内視鏡検査をする。検査医はほとんど男性のため、女性はちゅうちょするかもしれない。その間にがんが進行して手遅れになってしまう。検便で潜血反応があれば、ためらわずに検査して早めに手術するのが一番だ。
 内視鏡検査では下剤を飲んで腸内を空にするのが大変。患者5人に対してトイレは二つだけ。取り合いになり苦しかった。検査をするならちゃんとトイレのある病院を選ぶこと。意外とそういうことで患者はつらい思いをする。
 検査の結果、3・3センチの直腸がんが見つかりすぐに手術の日が決まった。おなかに4カ所穴を開けてカメラと手術器具を入れ、モニターを見ながら行う腹腔鏡手術だった。術後の経過は早く、体への負担が少なくて良い。
 1年3カ月後、左肺に転移。脇腹に3カ所穴を開ける胸腔鏡手術を行った。さらに右肺にも転移しており手術したが、これは良性だった。2009年には肝臓へ転移し、みぞおちから背中まで38センチ切開して手術した。

がん  前向きに捉えて

 現在、大腸がん手術から10年、最後の肝臓がん手術から6年が経過。どこかにがんが潜んでいるかもしれないが、元気に生きているから大丈夫だろう。
 人間の体には病原菌やウイルス、がんなどから体を守る免疫力がある。痛みやせき、発熱などの自覚症状があって病気と伝えてくれる。ところが、がんは自覚症状が早期に出ない。死亡率が高いのは末期まで自覚症状がなく手遅れになるからだ。ただ、大腸がんは便に血が混じる自覚症状があり、それをうまく捉えられたら早く対処できる。
 年を取ると免疫力が落ちる。50、60歳を過ぎたら検診を怠らないよう心に留め、うまくがんと付き合ってほしい。免疫力を上げるには笑いが大事。目標を持ち、前向きに残りの人生をどう過ごしたら一番楽しいかを考えていこう。



徳島新聞女性クラブトークイベント 石田純一さん

2015/6/4付 徳島新聞朝刊暮らし面掲載


「夢を持ち続けることの大切さを子どもたちに
教えてあげてほしい」と呼び掛ける石田さん
=徳島市のアスティとくしま
 徳島市のアスティとくしまで開かれた女性向け会員クラブ「徳島新聞女性クラブ」のトークイベント。出演した俳優の石田純一さんは「心には想像している以上のパワーがある。強く思い続ければ何事も実現していく」と語り、夢に向かって努力していくことの大切さを訴えた。要旨は次の通り。(萬木竜一郎)

心にはパワーがある
夢に向かう努力 大切


 年齢を重ねるにつれ、しわや肉が増えていく。しかし、それだけではない。考え方次第で、すてきな人間になることができる。昨日よりも今日、今日よりも明日、少しでも人に優しく、親切にしていこう。時間は敵だ、と考える必要はない。それを味方にできる人こそがすてきになれる。
 詩人サミュエル・ウルマンは「青春」という作品の中で、「青春とは人生のある時期を言うのではなく、心の様相を言うのだ」といっている。つまり、60歳になっても若い人がいるし、20歳でも老けている人がいるということ。豊かな想像力やたくましい意思、燃えるような情熱を持ち続け、理想を抱いている人は若い。逆に不安や恐怖、疑念などに、がんじがらめになっている人は老けていくものだ。
 僕は特に楽天的で、やるべきことをやり、後は天に任せる方だ。勝ち負けにこだわりすぎると、人は卑しい考え方になる。座右の銘は「恐れるな、怠るな」。良い結果を出すためには、日ごろからの準備が大事になる。
 本を読むことが一番好きだ。知識は無限に身に付けることができる。真の知性はひけらかすものではなく、人を和ませたり、幸せな気分にさせたりするためにある。ハートフルな言葉で相手の心のバケツをいっぱいにしてあげたら、互いに幸せになるだろう。
 人間関係を良くするコツの一つに、会話の”さしすせそ“がある。相手が何か言ったとき「さすが」「信じられない」「すごい」「せっかくですから」「そうなんだ」と答えながら聞いてあげると、相手は幸せな気分になる。
 20代のころから、ずっと思ってきたことがある。私たちの心は実は想像している以上のパワーがあり、強く思い続ければ何事も実現していくということ。大学を出て、この世界に入るとき、周囲はみんな「無理だ」「目を覚ませ」と反対した。普通の学生だった僕が強く思い続けることで、多くのことを実現させてきた。心の中心にある核やコアといった部分に思いを強く持ち続け、それを実現することにどれだけ集中するかが大事になる。
 未来は希望で、夢は原動力やエネルギー。夢を持ち続けることの大切さを、子どもたちに教えてあげてほしい。限界は自分の心の中にあるだけで、実際にはない。工夫すれば、可能性はいくらでも広がっていくものだ。

2015年2月5日木曜日

徳島新聞女性クラブトークイベント 西川ヘレンさん


 徳島市のアスティとくしまで開かれた女性向け会員制クラブ「徳島新聞女性クラブ」の第4回トークイベント。タレントの西川ヘレンさんが「大家族 支え愛 見守り愛 励まし愛」と題して講演、夫きよしさんの両親と実母を同時に介護した体験で知った家族の絆の大切さを強調した。要旨は次の通り。(髙﨑扶美子)

親の介護経て家族一つに

わが家は現在、私たち夫婦と94歳で要介護4の夫の母ら4世代10人が、支え合って暮らしている。私がいないときの義母の世話は長男の嫁、母にとっては孫嫁がしてくれ、ひ孫も声を掛ける、世代を超えた生活だ。実母が10年以上前に、その2年後に義父が亡くなるまでは、夫の両親と私の母も一緒に暮らした。
 うつ状態だった夫の父は、外出せずにベッドの上でうつろに過ごすことが多かった。ある日「おじいちゃんとデートがしたい」と花見に誘うと「息子の嫁に誘われて断るわけにはいかん」と一張羅の背広で出掛けてくれた。父は満開の桜に大喜びで車を降りて歩き、立ち寄った喫茶店ではミックスジュースを夢中で飲み干した。家では食が進まないのに、外出するとこれほどパワーがみなぎるものかと驚かされた。
 実母が大腿(だいたい)骨を骨折して寝たきりになると、母は「おむつは自分で替える」と言い張った。私が「小さいころ、お母さんにおむつを替えてもらったおかげで今の私がある。お返しに替えさせて」と言うと受け入れてくれた。ものは言いようで「自分で替えられんのやから、しょうがないでしょ」だと傷つくが、お返しと言うとお互いに感謝の気持ちが出てくる。
 寝たきりの母の介護と父の世話で右往左往していると、何も言わなくても子どもたちが分担して手伝ってくれた。周りに助けられていることがうれしかった。
 しかし、私自身も更年期障害になり、体が悲鳴を上げてしまった。ある朝目が覚めると動悸(どうき)がして声が出ず、救急搬送されると血圧は200を超えていた。パジャマのまま車に乗ってホテルに行き、眠り込んだこともある。外から家族連れの声が聞こえ「私は何をしているのか」と恥ずかしくなって家に帰った。逃げ出したい気持ちが行動に表れたのだろう。
 寝たきりの母が脳梗塞になった。一両日の命と言われたが、1カ月、2カ月と、何度も危篤になりながらも持ち直して年末になった。迎春準備を控えようかと思ったが、夫に「お母さんは生きたいと頑張ってる。こんなときこそお母さんに習ったおせちを作ろう」と励まされ、元日は母の病室で家族そろって手作りのおせちを囲んだ。
 母が息を引き取ったとき、長男が頭や頬をなで「おばあちゃん、もう痛くないか? 西川家のみんなの心の中で一緒に生きていくんやで」と掛けた言葉が心に残っている。
 介護を通して、生きている間はどう過ごせばいいかや、生き生きと暮らすことは素晴らしいことだと教えてもらった。年を重ねると誰かのお世話になる。だからこそ、支え合い、自分が元気である今は誰かのためになることをしたい。ますます元気に、人のために何ができるかを考えて生きていこうと思っている。

感謝の気持ちで支え合い

 最後に夫婦のエピソードを一つ。私たち夫婦はしょっちゅう「私のこと好き?」「大好きやで」というやりとりをし、手をつないで出掛ける。同様に夫の母が父に「好き?」と尋ねると、父は「好きでも嫌いでもない」と答えたが、夫婦仲良くしてほしいという家族の気持ちをくんで、母への態度が優しくなった。
 「おい!」から「おばあちゃん」に呼び方が変わり、両親も手をつないで出掛けるようになった。「相手のいる人はよろしいな」と言う私の母には、長男と次男が「こっちが若いで。両手に花やで」と手を取って歩いたことを思い出す。
 どうぞ、皆さんもご主人に好きか嫌いかを尋ねてみて。思いがけない感謝の言葉が聞けるかもしれない。