徳島新聞 女性クラブ

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お知らせ

2016年7月12日火曜日

徳島新聞女性クラブ講演会 作家落合恵子さん

戦争の傷跡が残る時代に、女手一つで子育てした母の姿−。徳島市のアスティとくしまで開かれた「徳島新聞女性クラブ」講演会で、「老いることはいやですか?」と題して話した作家・落合恵子さん(71)。自身の母親の人生をなぞり、年を重ねて生きることの尊さを訴えた。要旨は次の通り。(木下真寿美)
 
母との日々を語る落合さん=アスティとくしま

年を重ねる尊さ訴え
懸命に戦後生きた母
認知症で7年介護も感謝


 1945年、終戦の年の1月に生まれた。私は常に年齢を明らかにしている。多くの犠牲を出してようやく迎えた終戦の年に生まれたという偶然を大切にしたいし、また、自分の年齢にウエルカムと言いたいから。この国の文化は女性が年を重ねることを必ずしも歓迎していない。もし私たち女性自身が同じ考えなら、それをまず変えたい。
 米国の女性作家メイ・サートンは「私から年齢を奪わないでください。働いてようやく手にしたものですから」と言った。年を重ねることを恐れないですむ、政治、社会のありようをつくっていかねばならない。
 「何でそんな髪型してるんですか」と聞かれたことがある。母を介護した7年間、美容院に行く時間がなかったから。母70代、私50代の頃、介護が必要になった。「家で過ごしたい」と言っていたのを思い出し、介護しようと思った。
 彼女は戦争末期に、22歳で私を産んだ。栃木県の小さな町で、親類縁者がほとんど教師という環境で、結婚をせずに。「昨日街角で会った友人が、今日は焼(しょう)夷(い)弾で消えていく。そんなとき、おなかにあなたがいることに気が付いた。絶対産む、と決めた」。15歳の私にそう話した。
 東京に出て、あらゆる仕事を転々とし、母は私を育てた。都心の事務所で働いている頃は、夜にビルの清掃もしていた。それを知った私は「お掃除の仕事やめて」と言った。母は私をある小さなビルに連れて行き、掃除をして見せ「この仕事のどこが恥ずかしいの。自分の言葉で答えて」と言った。恥ずかしいのは私自身。父親がいないことで差別を受けた自分が、職業に貴賤(きせん)を付け、差別をどこかで肯定していたのを体感した。
 一生懸命働いて生きた母。当時の女性はみんなそう。その母が年月を経て、認知症を患った。7年間の介護の日々では、ずっと、母のベッドの横で寝た。母のベッドの横でノート型のパソコンを開き、連載の仕事をした。何度もトイレに行きたがる母に「私、仕事しないといけないの」ときつい言葉で言ったこともある。介護は並大抵のことではない。それでも、家でそばにいられたことは、かけがえのない宝。
 彼女が亡くなったのは、ある夏の日の朝。最期のときは、2人だけにしてもらった。ベランダで、咲いている朝顔の数を数え、「来週はもっと咲いているよ」と言った。でも「来週は母にはないのだ」とも思った。
 母を抱き、実に素朴で月並みな言葉を言った。「お母さん、ありがとう。大好きだよ」と。そして「もう一度、私を産むかい」と尋ねた。目を開けようとしても、閉じてしまう母。そのやりとりの中、最期の瞬間を迎えた。
 母がたどった人生は、一人の人間が必死に生きるとき、年を重ねるとき、経験することだと思う。
 私が幼い頃は身近にいた、戦争を知る世代が少なくなっている。終戦の結果、女性たちが手にしたのが選挙権。一票、行使しましょう。大好きな人の命が戦争で失われるような時代になったら、と考えて。介護している人がいるなら、その人がどれほどの思いで生きてきたかを思って。