徳島新聞 女性クラブ

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お知らせ

2018年4月20日金曜日

第3弾 池上彰講演会(2018/10/8)オープニングステージは、「三浦祐太朗さん」によるライブ!




1984年4月30日生まれ。東京都出身。2008年バンド「Peaky SALT」ボーカルとしてメジャーデビュー。その後、2011年ソロ活動開始。2012年、舞台「旅立ち?足寄より」主演・松山千春役に選ばれる。同年、三浦祐太朗として1st Single「旅立ち」でソロデビュー。2016年8月 東海テレビ・フジテレビ系全国ネットオトナの土ドラ「ノンママ白書」に出演。2017年7月5日 自身の母である山口百恵さんの楽曲「さよならの向う側」「秋桜」「いい日旅立ち」他全8曲をカバーした「I’m HOME」をリリース。2017年12月 日本レコード大賞 企画賞受賞。2018年3月 「I’m HOME TOUR 2018」を開催。現在、FM NACK5 キラメキミュージックスター「キラスタ」水曜・木曜レギュラーパーソナリティ継続中。

2018年3月19日月曜日

第2弾 中村玉緒トークショー(2018/7/7)オープニングステージは、「嘉門タツオさん」によるライブ!



1959年3月25日大阪府茨木市生まれ。高校在学中に笑福亭鶴光師匠に入門、19歳で毎日放送ラジオの人気番組「ヤングタウン」のレギュラーに。が、のちに破門。番組も降板となり、その後ギターを手にライブ活動を始める。「嘉門」の名はサザンオールスターズ桑田佳祐氏の命名。「ヤングタウン」に奇跡の復活後、1983年「ヤンキーの兄ちゃんのうた」でデビュー。その後「鼻から牛乳」などヒット曲多数。2017年3月の誕生日を機に「嘉門タツオ」と名前の表記をカタカナに改名。2017年年末から2018年年始に掛けてツアーを行うなど、CDリリース、ライブ、TV・ラジオ、執筆、SNS発信と幅広く活躍中。

2018年3月18日日曜日

第1弾 デヴィ夫人講演会(2018/5/12)オープニングステージは、丸山純奈さんがヴォーカルを務める「POLU(ポル)」によるライブ!



2016年10月、徳島市中心部にある港の倉庫街「万代中央ふ頭」のイメージソング『ミズイロ』(作詞:高橋久美子、作曲:[.que] nao kakimoto)が制作され、同楽曲のためにバンド「POLU」(ポル)の企画が立ち上がる。ヴォーカルのみ、徳島の新しい才能を発掘することを目的に、公開ヴォーカリスト・オーディションにて選出。選ばれたのは、当時若干12歳の丸山純奈。ボーカルソロでテレビ朝日の音楽チャンプ出演〜優勝、またそのYoutube動画が再生回数840万回(2018.3.14)を記録。

2018年3月5日月曜日

2/17開催 西川きよし講演会 開催レポート

 徳島市のアスティとくしまで開かれた女性向け会員制クラブ「徳島新聞女性クラブ」のトークイベントで、タレントの西川きよしさん(71)が「人生は小さなことからコツコツと!」と題して講演した。芸人や国会議員として活動した経験のほか、妻でタレントのヘレンさんへの思いを語った。(橋本真味)
 
芸人や国会議員としての活動を振り返りながら、
妻や出会った人への感謝を語る西川きよしさん
=アスティとくしま

出会った人全てに感謝



 早いもので昨年、金婚式を迎えた。六畳一間のアパートから始まった生活は、一時、両親と義母を合わせて15人で暮らすまで大きくなった。現在は10人で食卓を囲む。家族が仲良く暮らすのが一番の幸せとしみじみ思う。
 両親と義母を介護していた時、妻は朝から大忙しだった。家事に加えて入浴や排せつの世話まで、大変だったと思う。そんな姿を見て、家族みんなができる限り手伝うように自然となっていた。心遣いの大切さや老いていくことについて、勉強になる経験だった。
 妻には、風呂で一日のお礼を言う。一緒に入りながら「いつも親の面倒見てもらって、ありがとう」と。
 縁あって2人は一緒になった。妻に出会って心からよかったと思う。今があるのは、これまで出会った人たちのおかげだと感謝している。中でも、横山やすしの存在は外せない。横山さんに誘われて1966年、京都の劇場からコンビは始まった。
 面白い人だった。何より競艇が一番。ネタを間違えて楽屋でけんかになった時、「漫才とどっちが大事や」と聞いたら「ボート」と言う。ボートを一生懸命やって、勝って気分が上がったら漫才を頑張れると。いろんなコンビがいるけど、(事件を起こし)裁判所で証人をさせられた相方は、なかなかいないでしょう。
 今後の人生について話す機会があり、選挙に出たいと相方に告げた。仕事を頑張って家を買い、親孝行はできた。今度は世の中に恩返しをしたいと。横山さんは「それはええこっちゃ。応援する」。家族と会社に許可を得て33年前、参院選出馬を決めた。
 高齢者施設や福祉施設の訪問を、コンビの時から続けていた。自宅に帰ると年寄りが3人いて、妻の苦悩も分かる。その経験から、多くの人が安心できる福祉の充実が欠かせないと実感していた。
 支持基盤はなく、手伝ってくれるのは選挙の素人ばかり。ウグイス嬢が名前を間違えたり、道に迷って同じ地区を何度も回ったり。大阪全域を巡ると市民が声を掛けてくれて、その一つ一つに助けてもらった。おかげさまで100万票以上獲得して当選できた。
 3期18年、ずっと無所属だった。「1人では何もできん」と言う人もいるけど、決してそんなことはない。現場に強くなるため、全国各地に足を運んで課題を探し、こつこつと政策の大切さを訴えてきた。
 1人だからできないということは絶対にない。ただ、やる気があるかどうか。これまでの経験を忘れず、社会全体を照らし続ける人生を送っていきたい。

2018年1月12日金曜日

11/25開催 海老名香葉子講演会 開催レポート

 徳島市のアスティとくしまで開かれた女性向け会員制クラブ「徳島新聞女性クラブ」で、落語家の初代林家三平さんの妻で作家の海老名香葉子さん(84)が「山谷越えて きれいに生きたい」と題して講演した。海老名さんは戦災孤児だった経験などを振り返り、前向きに生きることの大切さを訴えた。(藤川佳宏)
 
作家 海老名香葉子さん
=アスティとくしま

前向きな気持ち大切
戦災孤児の経験振り返る


 戦前は東京の下町で和やかに暮らしていたが、11歳の時、静岡県の親戚宅に1人で疎開することになった。母は「いつも笑顔でいなさい。(悲しくても)我慢して笑顔でいるのよ」と送ってくれた。
 1945年3月9日深夜、退避命令が出て山中へ逃げた。「東京の空が赤い」と聞き、家族の無事を祈った。
 数日後、中学1年の兄が焼けただれた姿で親戚宅を訪ねてきた。兄は「みんな死んだ。ごめん」と泣いて謝った。私は「兄ちゃんだけでも残ってよかった。泣かないで笑顔でいよう」と言った。
 石川県の叔父宅にも疎開した。叔父は「親と思って」と言ってくれたが、終戦後の10月、叔母に「面倒は見られない」と言われ困った。その後移り住んだ東京の親戚宅では叔母がいつも怒っていて「お前は死んだらよかったのに」と罵倒された。この家にも居られなくなり、独りぼっちになった。
 孤児の証明書を持っておらず、配給がもらえなかったので、いつもお腹を減らしていた。拾った鍋で雑草を炊いて食べていた。
 父の知人である先代の三遊亭金馬師匠と再会した。師匠の家に行くと、おかみさんが「うちの子になりなさい」と引き取ってくれた。「生きていける」と思い、うれしかった。
 18歳の時、林家三平が「丈夫で長持ちしそう」と嫁にもらってくれた。4畳半2間の家で暮らし、内職で生計を支えた。次第に弟子が増え、家がさらに狭くなった。にぎやかな中で、子ども4人も育てた。一人一人性格が違うので、その子に合わせた付き合い方が大切だと思った。
 50歳を過ぎて病気で倒れた夫から「後を頼む。弟子が路頭に迷うから」と言われた。40人近い弟子をどうすればいいのか困惑したが、弟子たちが支えてくれて勇気が湧いた。
 テレビ出演や本の執筆など、仕事の話があると何でもした。小学5年までしか学校には通ってなかったけど、ありのままの自分を出してこなした。
 東京・上野に空襲の犠牲者の慰霊碑と時計塔を建てた。毎年の供養の日には大勢の人が集まってくれる。あと20年は生きて、空襲で亡くなった人たちのために供養を続けたい。