徳島新聞 女性クラブ

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お知らせ

2018年1月12日金曜日

11/25開催 海老名香葉子講演会 開催レポート

 徳島市のアスティとくしまで開かれた女性向け会員制クラブ「徳島新聞女性クラブ」で、落語家の初代林家三平さんの妻で作家の海老名香葉子さん(84)が「山谷越えて きれいに生きたい」と題して講演した。海老名さんは戦災孤児だった経験などを振り返り、前向きに生きることの大切さを訴えた。(藤川佳宏)
 
作家 海老名香葉子さん
=アスティとくしま

前向きな気持ち大切
戦災孤児の経験振り返る


 戦前は東京の下町で和やかに暮らしていたが、11歳の時、静岡県の親戚宅に1人で疎開することになった。母は「いつも笑顔でいなさい。(悲しくても)我慢して笑顔でいるのよ」と送ってくれた。
 1945年3月9日深夜、退避命令が出て山中へ逃げた。「東京の空が赤い」と聞き、家族の無事を祈った。
 数日後、中学1年の兄が焼けただれた姿で親戚宅を訪ねてきた。兄は「みんな死んだ。ごめん」と泣いて謝った。私は「兄ちゃんだけでも残ってよかった。泣かないで笑顔でいよう」と言った。
 石川県の叔父宅にも疎開した。叔父は「親と思って」と言ってくれたが、終戦後の10月、叔母に「面倒は見られない」と言われ困った。その後移り住んだ東京の親戚宅では叔母がいつも怒っていて「お前は死んだらよかったのに」と罵倒された。この家にも居られなくなり、独りぼっちになった。
 孤児の証明書を持っておらず、配給がもらえなかったので、いつもお腹を減らしていた。拾った鍋で雑草を炊いて食べていた。
 父の知人である先代の三遊亭金馬師匠と再会した。師匠の家に行くと、おかみさんが「うちの子になりなさい」と引き取ってくれた。「生きていける」と思い、うれしかった。
 18歳の時、林家三平が「丈夫で長持ちしそう」と嫁にもらってくれた。4畳半2間の家で暮らし、内職で生計を支えた。次第に弟子が増え、家がさらに狭くなった。にぎやかな中で、子ども4人も育てた。一人一人性格が違うので、その子に合わせた付き合い方が大切だと思った。
 50歳を過ぎて病気で倒れた夫から「後を頼む。弟子が路頭に迷うから」と言われた。40人近い弟子をどうすればいいのか困惑したが、弟子たちが支えてくれて勇気が湧いた。
 テレビ出演や本の執筆など、仕事の話があると何でもした。小学5年までしか学校には通ってなかったけど、ありのままの自分を出してこなした。
 東京・上野に空襲の犠牲者の慰霊碑と時計塔を建てた。毎年の供養の日には大勢の人が集まってくれる。あと20年は生きて、空襲で亡くなった人たちのために供養を続けたい。